プロフィール |
わたしが 絵本を 作ったわけ 私の子供が笑わない子でした。 子供の笑顔は何よりも尊いもの・・・・ なかなか笑ってくれない子を なんとか笑わせたくて 育児書やマニュアルを 読み漁りさまた。 でも 一向に解決できません。 そんな時に 娘が 私の一枚の写真折り曲げて 扉のようにして遊んでいます。それに 「キャキャ・・・」 と 笑ってるではありませんか。 「これだ!」 と 思った私は 私や父親、祖父母の写真を切り取って 紙に貼りました。 つたない絵ですが 写真のまわりに絵を描いたら 大喜び。 それがオリジナル手作り絵本のはじまりでした。 ただ写真を貼り付けただけの最初の作品 私は娘も大好きだけど、他の子どもも大好き。 みんな、幸せになって欲しい・・・・・ 娘と同じように、笑って欲しい・・・・ と、思い娘の友達や同じ保育園のお友達にも 写真の切り張りしたカルタをプレゼントしました。 lこれが、とても喜ばれて、 「ぼくも作って、あたしも作って・・・・」 と、子どもたちに モテモテになってしまったのです。 「こんなに喜んでくれるなら 日本中の子どもたちにつっくっちゃえ!」 と、決心しまいした。 これが、オリジナル絵本の販売のきっかけです。 |
わたしのこと 1965年生まれ 住所 都会の屋根裏部屋 絵本を作る場所 森の中(都会にも森があるのです。) 好きな絵本 はらぺこあおむし 10歳ごろから童話作家になりたかったのですが、 14歳の時にコンクールに落選。 あきらめました。 その後 20年間思い出すこともありませんでしたが、 娘の誕生で 記憶にも残らなかった記憶を思い出しました。 クレヨンを持つと 手が勝手に動いて絵を書き出し、 原稿用紙を前にすると 童話が浮かんできました。 そして、 本格的に童話と絵の勉強をしようと決心したのです。 落書き程度の最初の絵 |
恩師 たちはら えりか 氏のこと 日本の童話作家では3本の指に入る方です。 氏が運営している童話塾の通常のコースから特別コースへの お誘いを受けて鍛えてもらっています。 優しく、美しい童話を作られる方ですが、 大変厳しい指導を頂きました。 あまりの厳しさに、落ち込む日もありましたが、 厳しさは愛情ゆえだと感じました。 |
恩師 小柳 こずえ 氏のこと イラストは独学では無理だ、と感じたときに、 ご縁があり、指導していただきました。 レポート用紙にびっしり書き込まれた添削は、まさに私の宝です。 基礎デッサンから色の配色、構成にいたるまで 根気よく指導していただきました。 私の成長を誰よりも知っているのが この氏です。 最終課題のアリス(下の絵)は私の運命を変えることになります。 小柳氏の指導後の作品(こんなに上手になりました。) |
恩師 画家 猪俣 巌生 氏のこと イラスト基礎過程を終了して「どうしたものか?」 と、道に迷っているときに出会いました。 この出会いがさらなる運命を変えました。 自由な勉強を希望していた私には、氏のマニュアルのない指導は 本当に適切でした。 好きな絵を描いては、厳しく添削していただく、 欠点は徹底的に訓練する、 質とともに量も要求する指導は 私が持っていなかった、粘り強さを引き出してくれました。 最初の講義で、教えていただいた言葉を 引用させていただきます。 「はじめに、ことばありき。ことばは神なり。」 と、聖書には書いてあります。 「はじめに光ありき。光は神なり。」 画家は こう言うそうです。 ならば私はこう続けましょう。 「はじめに師のことばありき。しのことばは神なり。 師のことばは、光だった。 師のことばは、私たち体の中に宿った。」 上記の言葉を教えていただいたときに 浮かんできたのが、下記の絵です。 人は決して偶然では出会わないことを教えてくれました。 ピアノの木 |
わたしの会社のおかしな人々のこと 長年勤めた会社でリストラにあった時の始めました。 このブログで、人生変わりました。 |
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